およそ2カ月とまでは行きませんが、本当に久しぶりでした。
これに触れることができるのは、この家には僕を除いて誰一人としていないのです。
体調を崩して床についてる限り、これを見る事も触れることも叶わない。
7月に入り、徐々にではありますが、復調の兆しが見えてきたとき。
欲しい!禁断症状が・・・
独り暮らしを始めたとき、
アパートには中華用ドンブリが3つ、皿が3枚、箸が三膳あり。
独り暮らしが終焉を迎える時まで、この食器達は健在だったのです。
3という数字には意味があります。
船橋に引っ越すとき、手伝って貰った高校の同級生が4人いました。
そのうち2人が、僕の物資の調達支援という名目でアパートに残ったのです。
滞在期間は1週間程度だったと記憶してますが。
実際のところ物資調達支援とは名ばかりで、
船橋の僕のアパートを拠点に、
お上りさんと化していただけの事でした。
独りで生活するだけであれば、
食器類は1セットで十分なのですが、
彼らとて朝から晩まで外食するわけにもいかないわけで、
食べるための器が必要になります。
僕には他人の食器まで準備する余裕などあるわけはなく。
引っ越しと当面の生活必需品と、
これから購入しなければいけなくなる書籍の事も考慮に入れた、
生々しい現実が控えていました。
そこは、帰りの電車の費用さえ残しておけば、やりたい放題できる彼ら。
その彼らに、自分のため食器を購入してもらった結果の数字です
ですから、引っ越し当初から贅沢にも3セットそろっていたのです。
そのドンブリに入れるものは、当然飯そして納豆。
中華どんぶりでかき混ぜおおいに泡立たせ。
それに微塵切りにした玉葱をトッピングし、更に混ぜ合わせます。
中華どんぶりに飯を盛りつけ。
この空気を取り込んで旨味とボリュームの増した、納豆をアツアツご飯に掛け混ぜ合わせます。
混ぜ合わせる!これがとても重要なポイントなのです。
すべての飯粒に納豆と、その納豆の放つエキスが混じり合う様にする。
こうすることで、ご飯の配分と、おかずの納豆の配分が均等になり、
食べる配分を誤った為に起こる、ご飯だけが残った時の敗北感を味わうことが避けられるのです。
そんなこんなで独り暮らしに納豆は欠かせないものでした。
しかし、いくら好きでもね~。
独り暮らしからの脱却が成功したとき。
僕はもう一生納豆と鯖缶は食べないだろうと確信をもっていました。
しかし、悪魔の禁断症状に負け、
庶民の味方『納豆』と『鯖缶』の毒牙から逃れることができないことを知ったのです。
が、庶民の味方『鯖缶』は、
ろくに好きでもないのに青魚と言うだけで持て囃され。
挙句の果て、目先の事しか考えず根こそぎ奪いとっていく妙な連中が拍車をかけ。
今や高級魚として、庶民には手の届かないモノとして君臨。
青魚いくら喰ったって、生活習慣病が治る訳ね~だろうが。
真剣に好きで食べてる人に対して、恥ずかしいと思わないのかね。
と毒づいても仕様がない事は解っているのですが。
バジルとか妙なものいれて高級鯖缶とか言っちゃって、水煮缶が一番ウメ~んだよ。
スライスした玉葱を水に浸してから、皿に敷き。
その上に鯖缶を汁ごとブチかまして、生姜をオロス。
それに醤油をかけて食べるのが一番おいしい食べ方なのだよ。
乱獲が進み、脂ののった鯖が少なくなり、
サバサバばさばさになって、美味しくなくなってますよね。
100円でおつりがくる庶民の味方はどこへ行ってしまったの?
そこへ行くと、納豆は律義に庶民の味方であり続けて数十年。
7月下旬の連休に購入してきてもらいました。
持った時から何か違和感がありましたが。
庶民の味方納豆の内容量が少なくなってる?
納豆の調理は僕の仕事。
これは開闢以来変わらないのですが。
納豆の残骸が放つ納豆臭、そしてネバネバのついた容器は、
事前に用意されたビニール袋にいれ、匂いが漏れない様に結んでからゴミ箱へ。
この手順を踏まないと食べることが許されてはおりません。
調理時の臭いは我慢するが、その後の容器に関しては完全密封し処分せよ。
これが、納豆を食べるためのミッション。
混ぜていて違和感を感じました。
箸にかかる質感が軽すぎる。
混ぜても、混ぜても、軽い。
ネバネバは正常値と判断。
おかしい。
最近は、独り暮らしの時の様に、納豆をご飯に均等に混ぜる必要がなく。
贅沢にご飯の上に盛りつけ、箸でその下のご飯を崩れない程度に薄く掘り起こし。
そのまま口の中に放りこんで食べる。
食べ終えるとまた同じように納豆をスプーンで盛りつける。
その繰り返し。
そんな、お上品な納豆の食仕方に変わってきております。
それは、中華どんぶりにご飯を盛りつけているのではなく、
ちょっと小さめのご飯茶碗に、やさしく盛りつけられたご飯だからなのです。
通常モードの時はです。
カーボローディングのときは違いますが。
この時の食事ではご飯が余り、あの学生の時に味わった苦い敗北感がよみがえってきたのです。
「至福の時を壊す権利がお前らにあるのか!」
ご飯と納豆の配分は1カ月半食べなくても、テクニックは錆びていないハズ。
値段据え置きと銘打って、内容量を微妙に減らす姑息な手段。
増量の時は増量中と記載するのにもかかわらず、おかしいぜ!
きちんと減量中と記載して販売するのがルールじゃないのかね。
「卑怯者め!」
と納豆の匂いだけのご飯を食べながら吠えたのであります。
これに触れることができるのは、この家には僕を除いて誰一人としていないのです。
体調を崩して床についてる限り、これを見る事も触れることも叶わない。
7月に入り、徐々にではありますが、復調の兆しが見えてきたとき。
欲しい!禁断症状が・・・
独り暮らしを始めたとき、
アパートには中華用ドンブリが3つ、皿が3枚、箸が三膳あり。
独り暮らしが終焉を迎える時まで、この食器達は健在だったのです。
3という数字には意味があります。
船橋に引っ越すとき、手伝って貰った高校の同級生が4人いました。
そのうち2人が、僕の物資の調達支援という名目でアパートに残ったのです。
滞在期間は1週間程度だったと記憶してますが。
実際のところ物資調達支援とは名ばかりで、
船橋の僕のアパートを拠点に、
お上りさんと化していただけの事でした。
独りで生活するだけであれば、
食器類は1セットで十分なのですが、
彼らとて朝から晩まで外食するわけにもいかないわけで、
食べるための器が必要になります。
僕には他人の食器まで準備する余裕などあるわけはなく。
引っ越しと当面の生活必需品と、
これから購入しなければいけなくなる書籍の事も考慮に入れた、
生々しい現実が控えていました。
そこは、帰りの電車の費用さえ残しておけば、やりたい放題できる彼ら。
その彼らに、自分のため食器を購入してもらった結果の数字です
ですから、引っ越し当初から贅沢にも3セットそろっていたのです。
そのドンブリに入れるものは、当然飯そして納豆。
中華どんぶりでかき混ぜおおいに泡立たせ。
それに微塵切りにした玉葱をトッピングし、更に混ぜ合わせます。
中華どんぶりに飯を盛りつけ。
この空気を取り込んで旨味とボリュームの増した、納豆をアツアツご飯に掛け混ぜ合わせます。
混ぜ合わせる!これがとても重要なポイントなのです。
すべての飯粒に納豆と、その納豆の放つエキスが混じり合う様にする。
こうすることで、ご飯の配分と、おかずの納豆の配分が均等になり、
食べる配分を誤った為に起こる、ご飯だけが残った時の敗北感を味わうことが避けられるのです。
そんなこんなで独り暮らしに納豆は欠かせないものでした。
しかし、いくら好きでもね~。
独り暮らしからの脱却が成功したとき。
僕はもう一生納豆と鯖缶は食べないだろうと確信をもっていました。
しかし、悪魔の禁断症状に負け、
庶民の味方『納豆』と『鯖缶』の毒牙から逃れることができないことを知ったのです。
が、庶民の味方『鯖缶』は、
ろくに好きでもないのに青魚と言うだけで持て囃され。
挙句の果て、目先の事しか考えず根こそぎ奪いとっていく妙な連中が拍車をかけ。
今や高級魚として、庶民には手の届かないモノとして君臨。
青魚いくら喰ったって、生活習慣病が治る訳ね~だろうが。
真剣に好きで食べてる人に対して、恥ずかしいと思わないのかね。
と毒づいても仕様がない事は解っているのですが。
バジルとか妙なものいれて高級鯖缶とか言っちゃって、水煮缶が一番ウメ~んだよ。
スライスした玉葱を水に浸してから、皿に敷き。
その上に鯖缶を汁ごとブチかまして、生姜をオロス。
それに醤油をかけて食べるのが一番おいしい食べ方なのだよ。
乱獲が進み、脂ののった鯖が少なくなり、
サバサバばさばさになって、美味しくなくなってますよね。
100円でおつりがくる庶民の味方はどこへ行ってしまったの?
そこへ行くと、納豆は律義に庶民の味方であり続けて数十年。
7月下旬の連休に購入してきてもらいました。
持った時から何か違和感がありましたが。
庶民の味方納豆の内容量が少なくなってる?
納豆の調理は僕の仕事。
これは開闢以来変わらないのですが。
納豆の残骸が放つ納豆臭、そしてネバネバのついた容器は、
事前に用意されたビニール袋にいれ、匂いが漏れない様に結んでからゴミ箱へ。
この手順を踏まないと食べることが許されてはおりません。
調理時の臭いは我慢するが、その後の容器に関しては完全密封し処分せよ。
これが、納豆を食べるためのミッション。
混ぜていて違和感を感じました。
箸にかかる質感が軽すぎる。
混ぜても、混ぜても、軽い。
ネバネバは正常値と判断。
おかしい。
最近は、独り暮らしの時の様に、納豆をご飯に均等に混ぜる必要がなく。
贅沢にご飯の上に盛りつけ、箸でその下のご飯を崩れない程度に薄く掘り起こし。
そのまま口の中に放りこんで食べる。
食べ終えるとまた同じように納豆をスプーンで盛りつける。
その繰り返し。
そんな、お上品な納豆の食仕方に変わってきております。
それは、中華どんぶりにご飯を盛りつけているのではなく、
ちょっと小さめのご飯茶碗に、やさしく盛りつけられたご飯だからなのです。
通常モードの時はです。
カーボローディングのときは違いますが。
この時の食事ではご飯が余り、あの学生の時に味わった苦い敗北感がよみがえってきたのです。
「至福の時を壊す権利がお前らにあるのか!」
ご飯と納豆の配分は1カ月半食べなくても、テクニックは錆びていないハズ。
値段据え置きと銘打って、内容量を微妙に減らす姑息な手段。
増量の時は増量中と記載するのにもかかわらず、おかしいぜ!
きちんと減量中と記載して販売するのがルールじゃないのかね。
「卑怯者め!」
と納豆の匂いだけのご飯を食べながら吠えたのであります。