みんなで問題の解決策を考えればいい。
真実に向き合い助け合って生きる事ができれば,
問題が解決できなくても。
得られる心と空間がある。
しかし,
真実を欺き続けた現実は,
流れ出る地下水の様に,
止めることができない苦悩で溢れかえる空間しか作らない。
見えないものは信じない。
見えるものしか信じない。
自分に今見えてるものは,本当に存在があって見えてるものなのだろうか。
見えることと,存在することは?
同じ次元の出来事ではない事を認識すべきだと思う。
見えているものが,
自己の欲望,虚栄や願望が。
写しだした虚像でないと,
言い切れないのだから。
自己都合で行動する人の不幸は,
周辺を汚染すること。
自己の欲求の充足。
その満足が得られないとき。
自らが全てであるがゆえに,
自らが汚染の根源であるという認識が無いまま,
その周辺を精神的に追い込む。
人の歴史は淘汰の歴史。
生きるために備わった消すことができない性。
自らを乗り越える自己を目指すのではなく。
人より優れた人を目指すことにより。
人を押しのけ。
人をさげすみ。
人を差別化する。
そして,足元を掬われる。
道連れにして。
限られたエリアの汚染などありはしない。
つながった大気と言う空間が,
みんなの共通の家なのだということなのだから。
同じ痛みを知る人達が住んでる空間であると信じたい。
自分の言動行動が痛みの原因になっていないと言い切れる?
言い切れる人。
それは自己を省みることの能力が備わっていないだけ?
僕が君の瞳を覗き込んだ時。
君の瞳の中の僕が,
覗き込んでいる僕を覗き込んでいる僕がいる。
それが人の限界?
様々な自己が持つ視点。
その様々な視点で見る力が人には備わっていない?
自己の持つ自我を共有しあい,それぞれの自我から垣間見る世界。
それが可能ならば,争いは起きないのかもしれない。
しかし,それは混沌とした意識の網(世界)を彷徨い歩く自我が生まれ。
自我と言う概念も喪失し,人の世界の崩壊となるのかもしれない。
様々な自我によってつくられたart。
様々な視点で作られたart。
artを覗き見ることで
覗き込んでる自分を見ることができるかもしれない。
だから,人は惹かれるのだろう。
人は無理をしても大きくはなれないし,
人以上の器にはなれない。
情報の欠如が精神の不安定を生み出し。
詰め込まれる情報は,自我の崩壊を招く。
自分を知ることから始める。
そうすれば,器を身の丈に見合った器を実に着けることができるだろう。
そうして,
器を大きくしながら
器とともにゆっくり成長すればいい。
自分にとって大切なものは,
人と人とを区別することではなく。
人と何かを区別することでもなく。
自己を乗り越えるための自己を確立する事。
それ以外ないはずなんだけど・・・・。