人と比較しながら自分を見る。
人の食べてる物,着てる服,持ってる物を比較しながら自分を見る。
いつしか,自分は他人と言う存在なしには,自己を顧みることができなくなっている。
皆が食べてるから,皆が着ているから,皆が持ってるから。
同じものを欲する。
きっと今は。
社会と言う存在があって初めて,人の存在がある。
きっと今は。
社会と言う存在があって初めて,生きる意味がある。
人の存在は,人が人故に自我から剥離した人格が構成する社会をつくりだし。
その社会が求める物を追いつづけながら生きる。
虚栄や自尊心をくすぐり優越感に浸るために。
三種の神器は常に変遷し,新しい物を手に入れ情報の最先端を走ってるような錯覚を植え付ける。
情報に踊らされているとも気づかずに,新たな物を手に入れないと気が済まなくなる。
使えるものを捨て,使いもしない付加価値で肥大した新たな物を手に入れようともがく。
手に入らないことは,苦痛となり,生きる意味まで失う。
だから,社会における存在を失いたくないために,平気で人を陥れる様になる。
欲望を掌る部位のみが肥大していくため,思考そのものが圧迫され狭窄し,そのためだけの欲がむき出しになる。
着飾った装飾がすべてに優先される。
自我から剥離した人格が見出す価値は,狭窄した視野に写る操作された情報に左右される。
それは感情までをも侵食しコントロールされる。
道端に落ちた何の変哲もな石さえも輝きを放って見え,その所有者が羨望の的になる事さえあるのではないだろうか。
そして麻薬の様に,次から次へと増幅される欲望に囚われながら埋没していく。
そして,
苦痛からの逃避が最大の関心となる。
苦痛とは,周りと同じ物かそれ以上の物の所有の有無によって解消される。
身体も心も,その苦痛から逃れるために生き続けている。
苦痛から逃れる為の連鎖は新たな苦痛を生み出す。
おもちゃばこに虚無を溢れさせながら。
奪う行為は悪だと思う。
生命は奪う事で生きながらえる矛盾孕んでいる。
他の生命の苦痛を噛み砕きながら,多くのものを取り込まないと生き続けることができない。
生きることが矛盾に満ち満ちてるとすれば,生命そのものが矛盾の産物であり,そこに宿るものは悪そのものなのだろうか。
それが悪だとすれば,その悪が膨張し同胞同士の争いを生み出しているのでは?
地上から自らの生命も奪ってしまうほどに,悪が充満してしまっているのでは?
空間に充満した矛盾は,生きるための方便で塗り固められ,その塗り固められた方便の表面を鋭い棘が被う。
矛盾は熱く塗り固められた鎧で守られ,鋭い棘は他の鎧を貫くためにより鋭く研ぎ澄まされる。
矛盾同士の争いは,より多くの方便で塗り固められ,より長く研ぎ澄まされた棘をもった矛盾が,他の矛盾を葬り去る。
或はお互いに傷つき。そして傷の痛みに相手を恨み,呪い合う。
自らの矛盾を,相手の矛盾に投影し,相手を意識することで自らの矛盾を忘却しようとする。
そして,膨張した矛盾は厚い鎧に阻まれ圧死するか,鎧を突き破り,他の矛盾の棘にさらされ続けながら生きながらえるか?
他の矛盾の棘に突き破られるか?
膨張を繰り返し破裂する。
意味不明な非難は,自らの矛盾が暴発しそうなぐらい膨張したとき,破裂しないために起こるのではないだろうか。
今の社会秩序や価値観を超えた何かをつかまない限り,不幸の連鎖は止まらないのではないだろうか。
長生きするために,楽になるために,笑顔になるために思考された利便性は,
巨額の富を生み出し,利権にまみれた社会秩序が蔓延しているのだから。
お互いに利用しながら共生する事が生きる道だとは考えられないのでしょうか。
地球上のウイルス,細菌から人に至るまで。
生命とは宿った場所に寄生し,寄生木が枯れれば死に絶える。
人は,
そう言う宿命を背負った?
遺伝子が組み込まれた?
どうしようもない虚しい種の末裔なのでしょうか。
生きる為に生きる事が何事にもまして尊いのではないでしょうか。
生命と言うものがそういうものだとするなら。
「何も考えずに生きたい」
そう思ったりします。
人の食べてる物,着てる服,持ってる物を比較しながら自分を見る。
いつしか,自分は他人と言う存在なしには,自己を顧みることができなくなっている。
皆が食べてるから,皆が着ているから,皆が持ってるから。
同じものを欲する。
きっと今は。
社会と言う存在があって初めて,人の存在がある。
きっと今は。
社会と言う存在があって初めて,生きる意味がある。
人の存在は,人が人故に自我から剥離した人格が構成する社会をつくりだし。
その社会が求める物を追いつづけながら生きる。
虚栄や自尊心をくすぐり優越感に浸るために。
三種の神器は常に変遷し,新しい物を手に入れ情報の最先端を走ってるような錯覚を植え付ける。
情報に踊らされているとも気づかずに,新たな物を手に入れないと気が済まなくなる。
使えるものを捨て,使いもしない付加価値で肥大した新たな物を手に入れようともがく。
手に入らないことは,苦痛となり,生きる意味まで失う。
だから,社会における存在を失いたくないために,平気で人を陥れる様になる。
欲望を掌る部位のみが肥大していくため,思考そのものが圧迫され狭窄し,そのためだけの欲がむき出しになる。
着飾った装飾がすべてに優先される。
自我から剥離した人格が見出す価値は,狭窄した視野に写る操作された情報に左右される。
それは感情までをも侵食しコントロールされる。
道端に落ちた何の変哲もな石さえも輝きを放って見え,その所有者が羨望の的になる事さえあるのではないだろうか。
そして麻薬の様に,次から次へと増幅される欲望に囚われながら埋没していく。
そして,
苦痛からの逃避が最大の関心となる。
苦痛とは,周りと同じ物かそれ以上の物の所有の有無によって解消される。
身体も心も,その苦痛から逃れるために生き続けている。
苦痛から逃れる為の連鎖は新たな苦痛を生み出す。
おもちゃばこに虚無を溢れさせながら。
奪う行為は悪だと思う。
生命は奪う事で生きながらえる矛盾孕んでいる。
他の生命の苦痛を噛み砕きながら,多くのものを取り込まないと生き続けることができない。
生きることが矛盾に満ち満ちてるとすれば,生命そのものが矛盾の産物であり,そこに宿るものは悪そのものなのだろうか。
それが悪だとすれば,その悪が膨張し同胞同士の争いを生み出しているのでは?
地上から自らの生命も奪ってしまうほどに,悪が充満してしまっているのでは?
空間に充満した矛盾は,生きるための方便で塗り固められ,その塗り固められた方便の表面を鋭い棘が被う。
矛盾は熱く塗り固められた鎧で守られ,鋭い棘は他の鎧を貫くためにより鋭く研ぎ澄まされる。
矛盾同士の争いは,より多くの方便で塗り固められ,より長く研ぎ澄まされた棘をもった矛盾が,他の矛盾を葬り去る。
或はお互いに傷つき。そして傷の痛みに相手を恨み,呪い合う。
自らの矛盾を,相手の矛盾に投影し,相手を意識することで自らの矛盾を忘却しようとする。
そして,膨張した矛盾は厚い鎧に阻まれ圧死するか,鎧を突き破り,他の矛盾の棘にさらされ続けながら生きながらえるか?
他の矛盾の棘に突き破られるか?
膨張を繰り返し破裂する。
意味不明な非難は,自らの矛盾が暴発しそうなぐらい膨張したとき,破裂しないために起こるのではないだろうか。
今の社会秩序や価値観を超えた何かをつかまない限り,不幸の連鎖は止まらないのではないだろうか。
長生きするために,楽になるために,笑顔になるために思考された利便性は,
巨額の富を生み出し,利権にまみれた社会秩序が蔓延しているのだから。
お互いに利用しながら共生する事が生きる道だとは考えられないのでしょうか。
地球上のウイルス,細菌から人に至るまで。
生命とは宿った場所に寄生し,寄生木が枯れれば死に絶える。
人は,
そう言う宿命を背負った?
遺伝子が組み込まれた?
どうしようもない虚しい種の末裔なのでしょうか。
生きる為に生きる事が何事にもまして尊いのではないでしょうか。
生命と言うものがそういうものだとするなら。
「何も考えずに生きたい」
そう思ったりします。
人の世界はまるで海のようです。
一人が汚した流れは,海にたどり着き海により緩和され浄化される。
しかし,
皆がそれぞれ一人であるうちは,
それぞれ勝手に流した汚れが永遠に海を汚し続け,
海全体が汚染されてしまう。
一人が汚した流れは,海にたどり着き海により緩和され浄化される。
しかし,
皆がそれぞれ一人であるうちは,
それぞれ勝手に流した汚れが永遠に海を汚し続け,
海全体が汚染されてしまう。