だるまかな?って時々思います。
何の事かって言うと。
日々の繰り返し。
ふと気が付くと断片的に覚醒してる意識があり,今もその記憶が斑に残っている。
それが夢うつつの世界の様でもあり,現実の世界の様でもある。
その斑な記憶を繋ぎ合わせて,描かれる過去の記憶は,
装飾が施されていない,そして家具のまったくない部屋にコダマする甲高い声のなか,
妙に鮮やかな映像がコマ送りの様に網膜の奥でスライドする。
月日と共に,その覚醒してる時間が長くなり,記憶の集積が始まる。
いつしか立って歩きはじめ。
一日,一日を踏みしめるようになる。
一日は,様々な喜びを生み出す事もあれば,悲しみや怒りを生み出す事もある。
朝起き上がり,歩きながら記憶を蓄積し,その重みに寝そべり眠りにつく。
眠りの中で,積上げられた記憶の蓄積が,整理され集積される。
断片化した記憶を,切り取り繋ぎ合わせ,明日のキャパシティーを確保するために。
そのゲートアレーは,自己保持と自己実現を目的としたフィアーウォールにより管理される。
喜び・悲しみ・怒り・憎しみ。
そのほとんどの原因は,自分自身にある事を感じながらも,ファイアーウォールの構成によっては,責任を転嫁しながら新たな覚醒を待つ。
あたかもバックグランドでタスクが走るように作られる記憶。
その集中力が途切れたひと時が,覚醒時の記憶を創る原動力となる。
意識が記憶を創って現在に至り,その記憶に垣間見える自分の無力さと愚かさを感じるとき。
意識は記憶の中で葛藤を始め。
覚醒する復元力,起き上がる復元力が低下していく。
そして,記憶の負荷に戸惑い,断片化した記憶を,整理することが出来なくなり。
ファイアーウォールが機能しなくなる。
こころは侵食され,横たわる意識は,明日への希望を失う。
復元力が低下し,どんなに苦しもうと,記憶を作り変えようとは思わない。
どんなに苦しくても,作られた記憶に頼ろうとは思わない。
すべての記憶は,意識が犯してきた罪の記憶だから。
意識が侵す罪は,利益と欲望の為に生み出される行動として記憶に刻まれる。
記憶と向き合いながら,負の記憶に侵食されない為の意識の覚醒を繰り返すことが出来なくなるとき。
覚醒しながらも記憶の整理ができる行動を人は取るのでしょう。
それはリフレッシュと言う言葉で表現され,記憶の呪縛から解き放つ特効薬の様な働きをする。
多くは,心地よい疲労をもとめ,様々な行動とる。
矛盾したような行動は,不思議な効果を停滞した意識に注ぎ込み,
だるまの様に,また起き上がる復元力を意識にもたらす。
覚醒しながらも記憶を整理できる方法。
それがリフレッシュなのでしょうね。
山に登る事もその一つ。
網膜に写る景色はまほろばの景色。
意識が景色の中に溶け込む瞬間。
その瞬間,瞬間に,バックグランドで記憶の整理が進む。
覚醒した意識の中のバックグランドでタスク処理が進む。
究極のマルチタスク。
素晴らしい瞬間。
そして,いつしか覚醒は断片化し,斑な記憶に包まれながら,もと来た場所に帰るのだろうと思います。
いつか無限のデーターを管理できるシステムが構築されたとき,
意識をネットの一部として共有すことが出来るようになるかもしれないですね。
その時,人の営みはどう変わるのでしょうね。
膨大な情報が飛び交い氾濫し,様々な意識が自己実現と自己保持の為にネット上を駆け巡る。
混濁した意識。
意識の境目。
何十億人もの意識が一つの意識として思考する事があるのでしょうか?
その時,アイデンティティーはどうなるのでしょうか?
利益の為に犯罪を生み出す脳も共有されてしまうのですから,不気味な気もしますが・・・
争いは意識の中の内部矛盾として,意識下で処理され,争いは起きないとも考えられますよね。
意識をネットの一部として共有すことが出来るようになるかもしれないですね。
その時,人の営みはどう変わるのでしょうね。
膨大な情報が飛び交い氾濫し,様々な意識が自己実現と自己保持の為にネット上を駆け巡る。
混濁した意識。
意識の境目。
何十億人もの意識が一つの意識として思考する事があるのでしょうか?
その時,アイデンティティーはどうなるのでしょうか?
利益の為に犯罪を生み出す脳も共有されてしまうのですから,不気味な気もしますが・・・
争いは意識の中の内部矛盾として,意識下で処理され,争いは起きないとも考えられますよね。