- 舐め切った人生。
- 三人寄れば「もんじゅ」の知恵:凡人であっても三人集まって言い切れば,黒いものも白くなる例え。
寄らば「もんじゅ」の陰とも言う。
- 生まれてきてごめんなさい
- とちの実を拾いながらの散策・・・意味不明な狼煙が多数。
左側は言わずと知れたHANG-TENなのでありますが,右側は何だ?
て皆様思うでしょう。
それはですね
こういう事なんです。
高校時代の冬休みお風呂掃除をしていました。
まだローテクな風呂釜の時代です。
お風呂専用のガスの追い炊きのみの非常にシンプルな釜なんです。
お風呂沸かす時は,水を溜めて追い炊きする。
炊く時間の設定などない。
点火か消化,そして火の強弱のみ。
だから,釜に火を入れたら,ちょくちょくご機嫌伺いに行かないといけない。
ご機嫌伺いに行かずほっておくと。
ご機嫌が悪くなって「グツグツ」と煮えたぎり地獄の釜状態になってしまうんです。
そうなってしまうと,入るまでに様々な労力が必要なんです。
冬の寒い日にそうなると。
お風呂に入るために凍えながらの重労働が待ってるのです。
浴槽へのダメージも少なからずある訳です。
しかし,ご機嫌伺いに行く回数をクリアしたと安心してると,さらに痛い目を見ます。
ご機嫌伺いの時に湯加減を見るのですが,
湯船の上だけを「チャポチャポ」と指で確認して,
「ア~沸いたな」って思って。
勢いよく「スポポポポ~ン」て身ぐるみ剥いで?しまい。
「ドボ~ン」って湯船に入ってしまうと。
「ギャー!シャッコ~イ」ってことになります。
対流式の二つ穴がついたお風呂で,下から吸い込んで上からお湯を吐き出す。
そんなタイプは,浴槽の温度が何層にも別れてしまってるので要注意なのです。
湯加減は浴槽の木の蓋を使い,湯もみするようにしながら浴槽の最深部まで丹念に混ぜないと,本当の湯加減は判らないのです。
今の時代想像できないでしょうけど。
そんな時代のお風呂だったので,お湯は当然昨夜の残り湯だけ。
そして冷たくなりかかっている。
シャワー等と言うハイカラなものは,当然ついてません。
だから,湯船の冷たくなりかかった残り湯を流してしまえば,水で洗うしかない時代。
「シャッコイ」んです。
でも頑張って,タイルを一生懸命「ゴシゴシ」していたんです。
そんな時。
「ピンポ~ン。ピンポ~ン」
「ゲッ!客だ」
こういうのって一度中断すると,やる気がうせてしまうんですよね。
それと,めんどくさいのでそのまま掃除をしてました。
さらに「ピンポ~ン。ピンポ~ン」のあとに。
「ガチャ」っとドアの開く音。
「こんにちは~。いるんでしょ~」
「あ~。鍵かけんの忘れった~」
しかたないので,泡だらけの手を湯船でじゃぶじゃぶ洗い玄関に出てみると。
近所の呉服屋のオバチャンが割と大きな荷物を左手に抱えて玄関の扉を開けて立ってました。
「何用じゃ。この忙しいときに,喧しい」
「やっぱりいるんじゃないの。寒いんだからとっとと出てきなさいよ」
「風呂掃除してたんだから,寒いのはお互い様だよ」
「やっぱり風呂掃除してたのね。keiちゃんが言ってたわよ風呂掃除が趣味だって」
「掃除する人がいないからしてるだけだよ。しかたなく」
「keiちゃんから頼まれたんだけど。これクリスマスのプレゼントだってさ」
と手に持った荷物を差し出しながら
「・・・・?」
クリスマスプレゼントなど,確か小学3年の時貰ったキャプテンウルトラのソノシート以来なので,正直戸惑いました。
それが,上記の
そしてよく見るとタグには「HANTEN」と
「おおお!なんじゃこりゃ」
世の中舐め切った様なタグがついた袢纏のプレゼントの意味を考えて見ました。
そして,どう考えても。
「世の中舐め切って生きて行くのよ!」
と言うメッセージが浮き彫りになるのでした。
そして,僕はそのメッセージを素直に受け取り。
ありがたく袖を通したのであります。
そして今に至っています。
世の中を舐め切って生きてきて50年plus5年。
「世の中舐め切って,本当にすみません」と露ほどにも思っていないけど。
僕の半生はこの「HANTEN」と共に?
綿はみ出しちゃってますけど。
「どの様な意図で監視カメラを設置したの?」
掲載された記事がコメント通りだとして。
それを額面通り受け取れば,上記の様な疑問が出てきますね。
重複した監視カメラの設置理由は?
重複した監視カメラを設置したのがフェールセーフに基づいたものだとしたら,設置した当初の考えを踏襲しなくなった理由を聞きたいな。
監視カメラ本体は安いものではないだろうし,特に原発向けの仕様で作られたカメラなのでしょうからね。
当然10万20万円等と言うレベルではないことは容易に想像がつきます。
調べてみましたが特注仕様ということで金額を突き止めることはできませんでした。
かつ施工に関しても原発仕様となる訳ですから・・・。
このコメントをもうちょっと踏み込んで考えて見ると
「54台以上が重複監視したカメラだから,壊れたって問題ない」と明らかに言ってる。
54台以上の以上と考えたのは。
いま故障してるカメラのほかに重複監視したカメラがある可能性も否定できないからです。
「なんで壊れても問題のない場所に監視カメラ設置したの」
乱暴な話ですがカメラ設置費用1台当たり100万円とすると,54台で5400万円になります。
「たいしたことないじゃんか」
ともんじゅ君は言います。
「だって僕の一日のおこずかい5500万円だもん」
もんじゅ君が,一日遊ぶの我慢すれば簡単に設置できちゃう訳です。
たいしたことないんです5400万円ぐらいもんじゅ君にとっては。
もんじゅ君にはなれ合ってるお友達がたくさんいるから。
そして,谷町の様な御贔屓衆が「ド~ン」とついてるから。
1の物から2,あるいはそれ以上の物を作りたい。
作ることが出来れば,資源の枯渇が遠のく。
机上で考えられた方法では可能だとしてる。
しかし,机上で考え出された方法は,現実とのギャップで崩壊したのでは。
というよりも,机上で考えた論理のパラメーターが,現実的な運用の中でそれをカバーしきれないぐらい,数多く欠落していたのでしょうね。
見きりでスタートして取り返しがつかなくなったという感じかな。
人はミスをすると?どんな風に考えるのでしょう。
ただただ,自らの立場を維持していくために誤魔化す事もあるでしょうけど。
根本原因を考えないというか根本原因を考えると存在そのものの否定につながる。
だからトラブルをトラブルと考えないようにして,システムのメンテナンスと考える。
そんな風潮があるのではないだろうか。
やはり,どうして?なんで?って考えるのが一般的だと思います。
「この失敗はなんで?」と。
「なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?」
と呪文のように唱えながら,ミスの原因を突き止めようと考えます。
そして,ミスの原因が存在そのものにある事に気付いたとき。
でも本当に考えないといけないのは,生まれてきた理由だと気づいたとき。
苦悩が始まります。
多くは日常のなかで見過ごされ。
かりに立ち止まって目を凝らして見ても,霞の向こうに見えるものを見続けることが出来ない。
それは,生まれてきたことによって,その周りが不幸にならない限り,生きる事に費やされて疲弊しきった能力の中では芽生えてこないからです。
生まれたことの意味を問いかけるとき,自己の存在の理由がいかに危いものかを感じることになるのではないでしょうか。
それは当然,人が生み出してきたシステムにも言えるでしょう。
自然の中を散策していても。
日常の生活を営んでいても。
この狼煙は鼻の粘膜や咽喉の粘膜を紙やすりの様に撫でていきます。
空気を伝搬してくる騒音などと同質のものだけどもっと達が悪い。
それは,汚染源が消滅しても限りなく拡散しない限りは空間を漂いつづける。
大気の流れによっては汚染源から遠く離れた空間をも汚染する。
そして,空気の分子にまとわりつくように侵入し呼吸をしてる限り体内に取り込まれる。
精神的にも肉体的にも影響が著しく,生活するうえで最大の弊害となっている。
焼却処分:燃やしてしまえば無くなる?通常の焼却は酸化反応により有害化合物が生成されることが多く,その有害物質を広く拡散する行為である。
燃やしたからと言って,物質がこの世から消滅などしない。
どうして農業廃棄物の焼却が例外的に認められ続けるのでしょうか。
JAや行政への問い合わせでは,制度的に認められてるから手の打ちようがないとの回答を以前に頂きました。
理由は,『農業・林業又は漁業を営むために止むを得ないものとして行われる廃棄物の焼却(例:稲わらの焼却,田畑,畦草の焼却等)は例外とされている』ので法的に規制することはできない。
しかし,大気はどこまでも繋がっているし,その大気を共有しているのであるから,それを汚染することは許されることではないと思います。
農業従事者以外でも
個人の焼却炉で,個人ゴミをつかい狼煙をあげてる人。
会社で出たごみを使い狼煙をあげてる人。
春と秋の清々しい大気の中に放出される狼煙の数は数知れないのであります。
基本的に受益者が負担すべきものを,燃やし拡散して無関係な多くの人に負担を強いてる。
そう考えるべきでしょうね。
そして,我々日本の法制度が地球規模の汚染の温床となっていることに,もっと問題意識を持つべきだと思います。