マイタウンコンサート
8月29日
プログラムは
ヘンデル:組曲「王宮の花火の音楽」より序曲
モーツァルト:ピアノ協奏曲第26番 ニ長調「戴冠式」
リムスキーコルサコフ:交響組曲「シェエラーザード」
Ⅰ.海とシンドバッドの船
Ⅱ.カランダール王子の物語
Ⅲ.若き王子と王女
Ⅳ.バグダッドの祭,海,青銅の騎士のある岩にての難破,終局
指揮:藤岡幸夫
ピアノ:仲道郁代
仙台フィルハーモニー管弦楽団
- ヘンデル:組曲「王宮の花火の音楽」より序曲
- まさしく宮廷音楽でした。
- モーツァルト:ピアノ協奏曲第26番「戴冠式」
- これは,圧倒されました。
この協奏曲には特異な点があります。
ピアノ独奏の多くの部分で左手のパートが書かれていない。
第二楽章は全く書かれていなかった。
初版(1794年)時,出版社により左手部分が補完された楽譜が出版されていますけど。
なぜ,モーツァルトは左手パートを書かなかったのだろう。
アインシュタイン曰く、モーツァルト本人は「何を弾くべきか完璧に分かっていた」
確かにそう言えるのかもしれないし,そうでないのかもしれない。
ただ,ピアニスト仲道郁代の演奏を聞いたとき。
「ジャズセッションだよまるで」
そう言った意味では,アインシュタインの「何を引くべきか完璧に分かっていた」・・・「都度」という事になると思う。
モーツァルト自身によるカデンツァ(即興的な部分もこう弾くんだよと言うガイドラインみたいなもの)が残っていない事からしても,即興によるオーケストラとのセッションを試みていたのかもしれない。
彼の頭の中には,新しい音の展開が見えていたのかもしれない。
これを,実践して見せてくれたのがピアニスト仲道郁代だったのです。
モーツァルトの頭の中を覗けた気がしました。
「ブラボー」 - リムスキーコルサコフ:交響組曲「シェエラザード」
- 内容とは別に,
全編通して夜の海なのですが。
大海のうねりの中で,木の葉の様に翻弄される人の抒情詩というイメージで,僕は40年間を通して聞いてきました。
残念ながら,コンサートホールで聞くのは今回が初めてです。
生演奏を聴いてみると。
やはり,前編通して夜の海に写る月の輝きが目に浮かびます。
それはさざ波のなかにキラキラと光る月だったり。
海溝の暗闇を反映したような,真黒な海が大きくうねる。
そしてそのうねりに月の形がいびつになりながら大きく揺らぐ。
波間に消えたり現れたりしながら。
うねりの山のうえには,泡沫の様な白いさざ波が,その中を舳先に白波をたて波に逆らいながら進む船。
波の山と谷との間で翻弄されながら,かろうじて浮いてる船。
身を任せつつも,あがらいながら。
とても残念だったのは,それぞれの楽章の前で,次の楽章の説明があった事です。
やはり全編通した演奏が聴きたかった。
ブツブツとこコマーシャルの様に入る語り手の説明。
細切れになったシェエラザードは無残でした。
なぜ,演奏前にすべての説明をしなかったのだろう?
中学生の吹奏楽部の生徒たちが,たくさん聴きに来ていたので,それらを意識してなのかもしれませんが。
座席の近くの生徒たちは全編通して寝てましたけど。
(シェエラザードでよく寝れるな~,ベートーベン7番で全編通して寝続けれる強者もいましたけど)
演奏者もなにか乗り切れてない様な感じでしたね~
出来れば事前にお勉強して,緊張感と高揚感を持って,コンサートホールに来てほしいですね。
大好きな曲です。
Bethと一緒に聞いてるオーケストラは,ウイーンフィルハーモニーオーケストラです。
指揮は,ヴァレリー・ゲルギエフ
Bethと一緒に聞いてるオーケストラは,ウイーンフィルハーモニーオーケストラです。
指揮は,ヴァレリー・ゲルギエフ