ちょっと残念な部分もあるけど ↑ 結構気に入ってます。
********************************************************* 本編 **********************************************************
Klaus Nomi : Cold Song
Snakeman Show B面6曲めに収録されていた曲です。
友人がcopyをして送ってくれたtapeの中にありました。
その友人は,
ターンテーブルを持っていなかった僕の無理なリクエストに応えてくれたり。
NEWヴィニールを入手すると,その中から選んだ推薦版などもcopyをして送ってくれてました。
今も手元にある数百本のカセットテープは,その彼がcopyしてくれたものがほとんどです。
その当時。
僕は只々,その膨大な情報量に圧倒されてました。
そして今もそれは続いています。
未知の音源。アナログ音源をデジタル化したもの等。
全てリスト化されたものが今は届きます。
それらのリストを紐解きながら,新たな発見をする。
その楽しみは何事にも代えがたい宝物なのです。
好きな物に埋もれる喜びとでも行ったらいいのかな~。
学友?達になじめずに,ただひたすら条件反射の様に学校に通い。
夢見た1人暮らしとその学生生活が,現実的な生活の中で色褪せだしたとき。
友人から届いた荷物の中でそれは一際輝いて見えました。
カセットテープデッキとアンプ,それだけでも充分贅沢なんですけど。
その他にミカン箱のスピーカー。
フォステクスのフルレンジユニットを,ミカン箱に組み込んだスピーカーです。
冬は夏服,夏は冬服を吸音材代わりにそのミカン箱に詰め込んで,スコーカーの様にして鳴らしてました。
アパートにあった電気製品は,
電気釜(炊くだけ保温機能なし)とオーブントースターは秋葉原で購入。
炬燵だ。炬燵!家にあった古い電気炬燵を送ってもらって使ってました。
でもやっぱりですね。
メインはカセットデッキとアンプ。
そしてエンクロージャーがミカン箱のスピーカーでしょうね。
引越しの荷造りをしてる僕に,周りは。
「何考えてんだか」
と,吐き捨てるように言ってました。
でも,この音源を再生するアイテムが無かったら。
そして,多くの音源を送ってくれる友人がいなかったら。
おそらく,思考の停止を求め,凍てついた氷の中に自ら進んで埋没していっただろうと思います。
数か月の間,ほとんど会話が無い生活。
銭湯と炊事場での洗濯。
そして食事。
兎に角なじめなかった。
浮いた存在だったのかもしれない。
でも,割とその変には慣れっこで平気だったはずなんだけど。
地域や方言などから生まれる,無視や,蔑みなど。
no problemと思ってました。
しかし,自分が思ってた程,強くなかった。
生活の中で響く言葉は独り言だけ。
その独り言で目が覚め。
かび臭いアパートの暗闇の恐怖にまんじりともせずに夜を明かし。
朝日とともに,その恐怖から解放され,疲労から来る睡魔に抗うかのように起きだす。
でも,その繰り返される疲労は,徐々に蓄積され,ネガティブな思考に囚われる様になります。
性格の悪さと向き合い。
甘えと向き合い。
虚栄心と向き合い。
様々な自分のダメ出しの思考を巡らせ,内側から徐々に崩壊しつつありました。
精神的骨格が実に小さくもろい事を思い知らされたのです。
そんな時,届いた宅急便。
外界とのやり取りが,ルーチンワークの様な毎日。
そのネガティブな日常の中で,予告なく届いた友人からの荷物。
とても新鮮な気持ちで受け取ったのです。
その中には,メッセージとたくさんカセットテープが入っていました。
そんな風にして受け取ったカセットテープの中にこの曲はありました。
そして,作られた価値観に翻弄されることなく,自分の本来ある欲に根差した,とんでもない音に共感を覚えました。
さらに普遍的な価値観等この世には存在しないのだとも。
そんな思い出がこの音源にはあります。
そして送られてきた音源を聞きあさり。
様々な価値観に巡り合い。
その感性に触れる事で多くの喜びや,悲しみや,怒りの表現方法を知りました。
聴いているときのこころの動きが,音とともに刻まれる。
こころに残る音とは,そんな音なのかもしれないですね。
繰り返し音楽を聴くとき。
こころに刻まれた記憶の断片から,様々な感情を呼び覚まし。
音とともに刻まれた断片に,こころを大きく動かされる。
だから,音楽が人に大きく愛される所以なのかもしれないです。
その数年後,僕のアパートにも電気テレビなる物が登場します。
世間一般常識で言うところの文化的な生活が,訪れた訳です。
購入したわけではありません。
夏休み等のバイトで得た収入は,祖母のテレビとアパートのスチール机と椅子に変わってましたし。
拾ったのです。
食料調達で出かけた帰りに,ごみ集積所で見つけました。
昔は集積所にある物を,勝手に持ち出しても何のおとがめもなかったように思います。
でも,ちょっと勇気がいりました。
そのごみ集積所は,とっても交通量の多い県道沿いにあり。
とても人の出入りの多い新聞販売店の前。
そして牛乳の自動販売機の脇にあったからです。
この牛乳の自動販売機では,ごく一部で大人気だったパンピーオレンジ
(牛乳とオレンジジュースを混ぜ合わせたような)
を販売してました。
ブラウン管のサイズは,そうですね・・・16インチはあったと思います。
人通りがあるし,無事アパートまでたどり着くだろうか?
写らなかったら?
「拾うは一時の恥,拾わぬは一生の恥」
と訳の解らない言葉を呪文のように唱えながら・・・持ち帰りました。
白黒でしたけど,ちゃんと映りました。
テレビはもともとあまり好きではなかったのですが,
拾って来てアパートで電源を入れた時。
「ブ~ン」と言ってブラウン管に映像が映った時の,
喜びは計り知れないものがありました。
まるで人類が初めてブラウン管で見た「イ」の文字の感動と同じ?
テレビを見ない生活に慣れていても・・・感動しました。
Snakeman Show B面6曲めに収録されていた曲です。
友人がcopyをして送ってくれたtapeの中にありました。
その友人は,
ターンテーブルを持っていなかった僕の無理なリクエストに応えてくれたり。
NEWヴィニールを入手すると,その中から選んだ推薦版などもcopyをして送ってくれてました。
今も手元にある数百本のカセットテープは,その彼がcopyしてくれたものがほとんどです。
その当時。
僕は只々,その膨大な情報量に圧倒されてました。
そして今もそれは続いています。
未知の音源。アナログ音源をデジタル化したもの等。
全てリスト化されたものが今は届きます。
それらのリストを紐解きながら,新たな発見をする。
その楽しみは何事にも代えがたい宝物なのです。
好きな物に埋もれる喜びとでも行ったらいいのかな~。
学友?達になじめずに,ただひたすら条件反射の様に学校に通い。
夢見た1人暮らしとその学生生活が,現実的な生活の中で色褪せだしたとき。
友人から届いた荷物の中でそれは一際輝いて見えました。
カセットテープデッキとアンプ,それだけでも充分贅沢なんですけど。
その他にミカン箱のスピーカー。
フォステクスのフルレンジユニットを,ミカン箱に組み込んだスピーカーです。
冬は夏服,夏は冬服を吸音材代わりにそのミカン箱に詰め込んで,スコーカーの様にして鳴らしてました。
アパートにあった電気製品は,
電気釜(炊くだけ保温機能なし)とオーブントースターは秋葉原で購入。
炬燵だ。炬燵!家にあった古い電気炬燵を送ってもらって使ってました。
でもやっぱりですね。
メインはカセットデッキとアンプ。
そしてエンクロージャーがミカン箱のスピーカーでしょうね。
引越しの荷造りをしてる僕に,周りは。
「何考えてんだか」
と,吐き捨てるように言ってました。
でも,この音源を再生するアイテムが無かったら。
そして,多くの音源を送ってくれる友人がいなかったら。
おそらく,思考の停止を求め,凍てついた氷の中に自ら進んで埋没していっただろうと思います。
数か月の間,ほとんど会話が無い生活。
銭湯と炊事場での洗濯。
そして食事。
兎に角なじめなかった。
浮いた存在だったのかもしれない。
でも,割とその変には慣れっこで平気だったはずなんだけど。
地域や方言などから生まれる,無視や,蔑みなど。
no problemと思ってました。
しかし,自分が思ってた程,強くなかった。
生活の中で響く言葉は独り言だけ。
その独り言で目が覚め。
かび臭いアパートの暗闇の恐怖にまんじりともせずに夜を明かし。
朝日とともに,その恐怖から解放され,疲労から来る睡魔に抗うかのように起きだす。
でも,その繰り返される疲労は,徐々に蓄積され,ネガティブな思考に囚われる様になります。
性格の悪さと向き合い。
甘えと向き合い。
虚栄心と向き合い。
様々な自分のダメ出しの思考を巡らせ,内側から徐々に崩壊しつつありました。
精神的骨格が実に小さくもろい事を思い知らされたのです。
そんな時,届いた宅急便。
外界とのやり取りが,ルーチンワークの様な毎日。
そのネガティブな日常の中で,予告なく届いた友人からの荷物。
とても新鮮な気持ちで受け取ったのです。
その中には,メッセージとたくさんカセットテープが入っていました。
そんな風にして受け取ったカセットテープの中にこの曲はありました。
そして,作られた価値観に翻弄されることなく,自分の本来ある欲に根差した,とんでもない音に共感を覚えました。
さらに普遍的な価値観等この世には存在しないのだとも。
そんな思い出がこの音源にはあります。
そして送られてきた音源を聞きあさり。
様々な価値観に巡り合い。
その感性に触れる事で多くの喜びや,悲しみや,怒りの表現方法を知りました。
聴いているときのこころの動きが,音とともに刻まれる。
こころに残る音とは,そんな音なのかもしれないですね。
繰り返し音楽を聴くとき。
こころに刻まれた記憶の断片から,様々な感情を呼び覚まし。
音とともに刻まれた断片に,こころを大きく動かされる。
だから,音楽が人に大きく愛される所以なのかもしれないです。
その数年後,僕のアパートにも電気テレビなる物が登場します。
世間一般常識で言うところの文化的な生活が,訪れた訳です。
購入したわけではありません。
夏休み等のバイトで得た収入は,祖母のテレビとアパートのスチール机と椅子に変わってましたし。
拾ったのです。
食料調達で出かけた帰りに,ごみ集積所で見つけました。
昔は集積所にある物を,勝手に持ち出しても何のおとがめもなかったように思います。
でも,ちょっと勇気がいりました。
そのごみ集積所は,とっても交通量の多い県道沿いにあり。
とても人の出入りの多い新聞販売店の前。
そして牛乳の自動販売機の脇にあったからです。
この牛乳の自動販売機では,ごく一部で大人気だったパンピーオレンジ
(牛乳とオレンジジュースを混ぜ合わせたような)
を販売してました。
ブラウン管のサイズは,そうですね・・・16インチはあったと思います。
人通りがあるし,無事アパートまでたどり着くだろうか?
写らなかったら?
「拾うは一時の恥,拾わぬは一生の恥」
と訳の解らない言葉を呪文のように唱えながら・・・持ち帰りました。
白黒でしたけど,ちゃんと映りました。
テレビはもともとあまり好きではなかったのですが,
拾って来てアパートで電源を入れた時。
「ブ~ン」と言ってブラウン管に映像が映った時の,
喜びは計り知れないものがありました。
まるで人類が初めてブラウン管で見た「イ」の文字の感動と同じ?
テレビを見ない生活に慣れていても・・・感動しました。