フクイチの事故後
原発の数の多さに愕然としました。
それは,僕の無関心さ故の産物だと反省。
反対や賛成。
ありきで考えると,更にひどい事故を招くような気がします。
それは,東電や国が行ってきたことを見れば明らかです。
反対を唱える人には,プロパガンダによる圧力。
更に,山吹色の補助金。
賛成の人には,安全神話。
一般には,エネルギーの喪失への不安を駆りたてる。
そして,自らが作り出した安全神話に,自らの足元を見るのを忘れてしまい。
全電源喪失という,それも防水対策など棚上げにした結果の,とんでもない事故を招いた。
原発の危険を認識し,どうやったら事故を回避できるかを考えがら,
原発がどうあるべきか考えるべきだと思います。
原発の未来には,廃炉,そして放射性廃棄物との長い付き合いが待っています。
消してしまう事は出来ない。
だからどうするべきなのか。
そう言う技術者達が必要になる時代に入ったのですから。
廃炉にはお金がかかる,だから動かし続けるのでしょうか?
負の遺産を減らす努力を今から始めないと,
嫌な事から目をそらし,更に負の遺産が増やそうと計画する。
経済成長は,エネルギーの確保とつながる構図も問題があるように思います。
安定と生活には,経済成長が必要?
これ以上成長してどうするんだろう。
経済成長ありきで話が進むのもどうかと思うのですけどね。
僕達の安定した生活には,エネルギーが欠かせないのは誰もが理解していると思います。
そのエネルギーの使い方を考えるべき時じゃないかな。
夏場は20度。冬場は30℃。
そんな,温度の中で過ごす人がいます。
エアコンは,熱交換器です。
温度を下げる為には,室内の温度を捨てる行為が行われてる。
それも,膨大な電気エネルギーを使って。
そして,外に出れば,今まさに自分達が捨てた温度の洗礼を受ける。
バカな話です。
満腹中枢が壊れてしまったかのように,貪欲に食べ続けられるエネルギー。
僕達が営んでる街そのものが,エネルギーを常に食べ続けるメタボな街なのです。
満腹中枢等,もともと存在しないのかもしれないです。
大量消費,GDP,生産効率・・・を考慮して作られた街なのですから。
よく見て見ましょう。
街から離れて。
多くの似通った,そして殺風景な建築物が,所狭しと乱立してる街並みが見えるはずです。
息が詰まるし,異常さを感じます。
寄り添い,ルールを作り,外界からの脅威を組織で排除してきた痕跡が,街だと考える事ができます。
人はそうやって生きながらえてきた。
そうしなければ,人は生きながらえる事が出来なかった。
その街並みが,逆に足枷になりつつあるのではないかと考えます。
意識が壁の中だけで働く様になってしまっている。
それが,エネルギーを食べ続けるメタボな街を形成してしまった。
街と言う壁の中で,エネルギーを食べ続け,これからも生き続けるのでしょうか。
化石燃料が尽きるまで。
注)ここで言ってるメタボとは,医療機関が特定健康診査・特定保健指導と称して行う為。
その指針として使われる営業的な意味合いの濃い言葉とは違う意味です。