叶わない思いがあります。
希望を見つけようと足掻いて,足掻いて,足掻いた揚句に,失望の闇に包まれてしまう事も。
希望と言う足がかりを見つけ,その微かな光に向かって,足場を築き登ろうとしても。
登り切れず,微かな光の中で,心が揺れ続ける事もあります。
姿だけ取り繕っても,実のない姿は薄いメッキの様なものです。
磨けば磨くほど,そのメッキは剥がれ落ちて行くのですから。
住む世界が違って,同じ場所にいれる様に頑張ろうとしても?
それは,徒労の中の苦悩と言う闇が被いつくし,抗う気持ちをへし折ることもあります。
きっとやれる。
抗う事で闇が広がることもあります。
それは,その世界だけの狭い世界で,泳いでいる人たちが,泳ぎ方が違う人を排除する排他的な世界を形作っているからではないでしょうか。
人の世にオーバーラップしないものなど微塵もないと僕は思います。
むか~し気付けなかなかった事に,今気付ける様になってきたこと。
むか~し,見えていて見えなくなった者が,また見えるようになってきたこと。
不思議なものが,不思議でなくなる感覚を山で味わいます。
人の感覚など取るに足らない物だという事も。
そんな感覚のせいで,余計な事も背負い込むし,大変な目にもあうけれど。
気付かないまま過ぎ去るよりも。
知らない幸せより,知った不幸を選びたいと思います。
その方がずっといいはずだから。
何時か散ると分かっていても,性懲りもなく見入ってしまう。
たくさんの散り際を見ながら,切なさを感じて,人の儚さを知ります。
それはとても素晴らしいと感じる様になりました。
枯れて行く草も。
その種を受け継がれ,新しく芽吹く春を待つのですから。
次世代の息吹の為の新たな息吹。
その為に循環する営みは,僕達のとって明日への希望への礎になります。
そして語り継がれる言葉は,常に中立であるべきです。
我欲に曲げられない解釈が必要です。
何で?何で?何で?何で?何で?と唱え。
考えるから素晴らしいのだと思います。
一生懸命。
何でを唱えるから
人の世が栄えたのだと思います。
僕達は互いに支え合い,補って生きる生き物だという事を忘れているような気がします。
自分が全てオリジナル?だという思い上がり。
そんな人が過去に存在したし,今も生まれてきています。
それらが,歴史の中で奪った命や,思想は計り知れないものがあります。
一人では生きれない。
人はそう言う生き物だと思います。
地球全体で補い,支え合って生きる。
補い合う術を考え,進展させた。
だから,異常に繁殖したのです。
悲しいですが,そこに人の思い上がりが生まれた。
人の世は,一人一人の支える不思議な力があるから,栄えたのだと思います。
一人一人が主役の世界なのです。
だから,とても素晴らしい。
でも,そこから驕りが生まれたのかもしれません。
自分がオリジナルだと言う。
人の作り出した貨幣価値の頂点に立っただけで。
生とは何だろう?
とても考えます。
街角の草花にも。
山の草花にも。
生が宿ります。
その生の素晴らしさを感じる生き方をしたいな。
今,つくづく思います。