誤った思い込み
それらが何層にも積み重なって
性格がそしてそれらが見る世界が構成されてきたのかもしれない
そしてその隙間を埋める方法を模索する
今までの歴史が
そして今日の時間が
明日からの展望が
隙間を埋めることに費やされる
それらが何層にも積み重なって
性格がそしてそれらが見る世界が構成されてきたのかもしれない
そしてその隙間を埋める方法を模索する
今までの歴史が
そして今日の時間が
明日からの展望が
隙間を埋めることに費やされる
記憶と言うdataが一人一人の自我を形作っている
だけど創成期からの記憶を紐解くことができたとするなら
錯乱しそうなぐらい多くの不思議な記憶を目の当たりにするのかもしれない
その解放された記憶dataは
はたして1個の自我がコントロールできるものなのだろうか
記憶が自我の根底にあるのにもかかわらす
その記憶に押しつぶされそうになるのではないだろうか
自らがたどった軌跡という記憶だけではなく
遺伝子の核に書き込まれたてきた記憶すべてに
だけど創成期からの記憶を紐解くことができたとするなら
錯乱しそうなぐらい多くの不思議な記憶を目の当たりにするのかもしれない
その解放された記憶dataは
はたして1個の自我がコントロールできるものなのだろうか
記憶が自我の根底にあるのにもかかわらす
その記憶に押しつぶされそうになるのではないだろうか
自らがたどった軌跡という記憶だけではなく
遺伝子の核に書き込まれたてきた記憶すべてに
それでもなお
階層化した記憶を紐解いてみたい
というより紐解くべきなのではないだろうか
解き放たれた感情の行方
そして自らの性格や行動に起因するものを見つけるために
階層化した記憶を紐解いてみたい
というより紐解くべきなのではないだろうか
解き放たれた感情の行方
そして自らの性格や行動に起因するものを見つけるために
今日の足元を
確実に踏みしめ歩かないことには
明日の足元を
見ることもできない
だけど
明日の展望を考えられなければ
今日の一日は過ごせない
確実に踏みしめ歩かないことには
明日の足元を
見ることもできない
だけど
明日の展望を考えられなければ
今日の一日は過ごせない
すべてを理解しながら進むのは不可能だとしても
自らの根底に流れるものを理解しようと試みながら進むべきなのではないだろか
自らの根底に流れるものを理解しようと試みながら進むべきなのではないだろか
自分の世界と外の世界の隔たり
みんながそれぞれ持ってる隔たり
分かり合えることは不可能だとしても
理解しようと試みながら進むべきなのではないだろうか
世界の根底はただ一つから始まった可能性があるのだから
それを意識したうえで
みんながそれぞれ持ってる隔たり
分かり合えることは不可能だとしても
理解しようと試みながら進むべきなのではないだろうか
世界の根底はただ一つから始まった可能性があるのだから
それを意識したうえで
世界の根底がただ一つから始まったのだとしても
独自に進化した者たちの出会いは容易いものではないでしょう
他者 と出会うとき
自らが属する共同幻想を通じ他者 の共同幻想を捻じ曲げ捏造してしまう
そういう危険性をはらんでいると思うのです
というかすべての歴史の中での異文化同士の接触や争いは
自分の幻想の論理を押し付けることで他者 から言葉を奪い
他者 を沈黙へそして叫びと言う極限へと導くことになったために起こった現実だと思うのです
独自に進化した者たちの出会いは容易いものではないでしょう
自らが属する共同幻想を通じ
そういう危険性をはらんでいると思うのです
というかすべての歴史の中での異文化同士の接触や争いは
自分の幻想の論理を押し付けることで
人は自己を世界の中心に据えてしか自我を維持できない存在だからなのかもしれません
しかし,他者の存在なくしては自己の存続も危ういともいえると思うのです
そして中心に置かれた自己は自己と接触する未知の世界に対して,
全てそうだとは限らないと思うのですが
否定的なイメージ
・・・・たとえば自己の内部にあって欲しくないもの・・・・
を投影し,
その自己と接触する世界を他者 として構築しつつ,
その他者 と対立するものとして
多かれ少なかれ肯定的な自己像を作り上げていくのではないでしょうか
自らを中心でしか世界を見るとができず,
他者 をみながら自らを肯定していくという生きざまでしか
生きていけないという悲しい性をもっているのだとおもうのです。
異文化をさげすんだりする自己は,
投影された自らの悪しき像を見てしまうための嫌悪感がなせる業なのかもしれません
おそらく最初は実体のない他者 との争いと言う形になって表れるのですね
そんな人の自己のidentityは,
悲しいけど
他者への悪しき自分の自己投影があって初めて確立できるのかもしれませんね
自己の無意識の深層において抑圧されているイメージを
実体のない他者 への上に投影することによってのみ自己確立を実現できてるのではないでしょうか
しかし,他者の存在なくしては自己の存続も危ういともいえると思うのです
そして中心に置かれた自己は自己と接触する未知の世界に対して,
全てそうだとは限らないと思うのですが
否定的なイメージ
・・・・たとえば自己の内部にあって欲しくないもの・・・・
を投影し,
その自己と接触する世界を
その
多かれ少なかれ肯定的な自己像を作り上げていくのではないでしょうか
自らを中心でしか世界を見るとができず,
生きていけないという悲しい性をもっているのだとおもうのです。
異文化をさげすんだりする自己は,
投影された自らの悪しき像を見てしまうための嫌悪感がなせる業なのかもしれません
おそらく最初は実体のない
そんな人の自己のidentityは,
悲しいけど
他者への悪しき自分の自己投影があって初めて確立できるのかもしれませんね
自己の無意識の深層において抑圧されているイメージを
実体のない
一歩踏み出す
それは
次元を変えた思考があればいい
たったそれだけのことができずにあがき続け
いつしか低きに流れる水のように時間がながれ
淀んだ水たまりの一部となる
矛盾や不合理な事
疑問を感じなくなった時から退行がはじまる
そして思考が淘汰され
淀んだ水たまりの一部となる
生まれ落ちた時から始まる,淘汰の世界
しかし
淘汰して淘汰しつくして得られるものが滅亡だと
記憶が積み重ねられ生み出された自我の本質が
感覚的に理解している
自我の矛盾はそこにある
淘汰の先にあるのは滅亡だと気づきながらも
生きるため
自己を周縁の自己に対し優位に保ちたい意識がはたらく
生まれるため
生きるために
奪う事から始まった創成期からの矛盾なのだろう
それは
次元を変えた思考があればいい
たったそれだけのことができずにあがき続け
いつしか低きに流れる水のように時間がながれ
淀んだ水たまりの一部となる
矛盾や不合理な事
疑問を感じなくなった時から退行がはじまる
そして思考が淘汰され
淀んだ水たまりの一部となる
生まれ落ちた時から始まる,淘汰の世界
しかし
淘汰して淘汰しつくして得られるものが滅亡だと
記憶が積み重ねられ生み出された自我の本質が
感覚的に理解している
自我の矛盾はそこにある
淘汰の先にあるのは滅亡だと気づきながらも
生きるため
自己を周縁の自己に対し優位に保ちたい意識がはたらく
生まれるため
生きるために
奪う事から始まった創成期からの矛盾なのだろう
今の世界の活動を律している蝶番は
変える時期にさしかかってきてるのかもしれないですね
なぜなら明らかに扉がうまく開け閉めできなくなってきていると思うからです
備え付けの枠組みの中では収まりきれない矛盾が
今多数噴出してきていますよね
今求められるのは
おそらく
豊かな実践を拓いていける新たな蝶番を作り出すことであるだろうし
ただ問題に答えをだすことではなく
様々な問いと疑いを生み出しうる場を作り出すことだろうと思うのです
それが可能なのは枠組みの内側にいる人ではなく外側にいる人
なのではないかな
今
枠の外にいる人が一番みえているのではないかな
枠の内側にどっぷりつかっている自己には見出しにくいと思うのですね
だから枠の外の自己がその役目を担うときなのだと思うのです
軽んじてはいけない事
肉体がないと意識は生まれないけれど、意識は肉体には還元されない。
だからこそ
意識の宿る命は尊いのだとおもうのです。
命の尊さはそれだけではないですけど